遺伝子が判った所で

 特定の遺伝子を有する事(もしくは持ち合わせない、配列が異なること)とその遺伝子が発現して特定の性質が現れる事との間には、断絶があるということ。それは判っていたけど、ゲノムプロジェクト推進及びポストゲノム用資金集めのために、20世紀末にゲノムというキーワードがバラまかれたわけで。
 その当時、プロジェクト推進する先生が自分らの大学にやってきて講演していったんですけど、その先生が言うには(病因遺伝子を探るための)ゲノムデータが集められているけどあるのは外国人のデータしかない、日本人のデータがないと日本人にあった薬や病気への対策がとれない。だから日本でもゲノムデータ集めが必須である、と。 テイラーメイド医療のためには確かにそれはそうなのかもしれませんが、その前に自分のゲノムデータの詳細をマスクしておけるようにする。何らかの形で本人及び周囲に漏れないようにする厳重な仕掛けが必須。
 遺伝病の家族における人間関係のフィールドワークをやっている友達が言っていた話ですけど、親が重篤な遺伝病であることが明かされた家族の壊れっぷりって凄いらしいですよ。本人はもちろん生死が掛って重大だけど、コドモに取っても介護の話もあるし、なにしろ将来ありえる姿が目の前に広がる訳だし、結婚や仕事の事もある。 このようなことが起きるのに、自分の疾患に向き合ってなんてコトバをゲノムデータ集めの先生は言えるのだろうか?しかも、発現するかどうかを確率論で語る訳でしょ? 告知されたすったもんだのストレスのフィードバックがかかって、エピジェネティックな情報が何らかの形でストアされ、他の遺伝子発現に影響が及んで、宣告された遺伝疾患で死ぬ前に別の病気で死ぬこともあり得ることは、判っていた訳でしょ?
 ヒトのゲノムは30億塩基対=30*10^8塩基対=3GBの文字列 ってことは、USBメモリーにでも溜め込んで個人で管理することも可能じゃない?(実際はもっとでかくなるだろうけど) 望めば将来の話を聞く事ができるし、望めばデータ提供もできる。あとは個人に決めさせろ。
と書き散らしてみる。