生贄

これまでサッカーネタは(サッカーは好きなんだけど)似たようなことしか書けないし、戦術分析もできないのでずっと控えていたのですが、準決勝のバーレーン戦が終わってようやく落ち着きキーボードに向かうことにしました。

今回の勝ち上がり方は、得点経過を文字として眺めるだけなら剣が峰を悉く制し、チームとして結束していると見えるし、実際に見ていても中澤の同点ヘッドには心動かされてしまいます。今回ギリギリの戦いに至る原因が二年間手つかずなのを忘れさせるぐらいね。引き裂かれる気持ちで代表のプレーとベンチの様子を見ていました。

昨日、準決勝のことでちょっと話をする機会があったんですが、そいつ(高校時代サッカー部、情報源はテレビ)は感動したって、中国を決勝でいわしてほしい。って。そうだよな。そうだよ。俺も心動かされてしまったし。

でも、あんな選手起用じゃ怪我人がでるだろ?って聞いたら、
「それで新しい人が出てくればいい」
って。あのなぁ、怪我人が出ないように(先発を変えたりタイミングのいい交代で)マネージメントつつ、全員で戦って行けるようにチームを作ってゆくのが監督の仕事じゃないのかよ!お前サッカー部だったんならなんでわかんねーんだよ。。

って言いたかったけど言いませんでした。テレビが情報源だと彼のような意見が典型なのかと愕然としたのでね。

実際問題、もうジーコは切れないんでしょうか?結果残しているのならサポーターもジーコを望むんでしょうか?戦術云々抜きにして、選手が満身創痍で下手すれば選手生命を断たれかねないのだとしても?この儀式は神様に生贄が捧げられるまで続くのでしょうか?

でも、中国に勝ってスタジアムを静まりかえさせてから、また考えよう。
決戦は土曜日。