フランス暴動から

 今更ながらフランス暴動の話。暴動のきっかけとなった地の名前「クリシー・ス・ボワ:Clichy-sous-Bois」というパリ北部の名前をニュースから、久しぶりにクリシーという名前を耳にした。二年前の夏、欧州を旅したときにパリで取った宿(YH)の最寄り駅が、地下鉄13号線の「メリ・ド・クリシー:Mairie de Clichy」。もっとも、暴動のきっかけとなった事件が起きたのはクリシー違いで、空港に近いもっと北のエリアに位置する町(地図参照 http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/4409854.stm)。でも、メリ・ド・クリシー辺りもたいがいガラが悪かったかな。夜11時頃に歩いて宿に帰ろうとしていたときに交差点で車と歩行者でトラブルを目の当たりにした事があったのだけど。怒ったドライバーが怒鳴りながらいきなり蹴り倒し、蹴られた方は打ち所が悪くてぐったり。それでもかかって行くのを廻りの通行人が止め、そこまですんなよとなだめる・・・という感じ。
 実際に暴動があった辺りはどういうところだろうか。パリ北部のサンドニにはW杯の決勝の舞台となったスタジアムがあるのだけど、高速道路を越えた裏手辺りから街の風景が薄汚く建物のデザインも変わり、サンドニではないが酷いところではプレハブぽくなったりと雰囲気ががらりと急激に変わってしまう。それまで中心地にいてバーゲン中の華やかなな風景との異常なまでの落差に垣間みる程度だったものの驚いたもの。そんな風景は空港への行き帰りのRER(フランス国鉄の近郊線)やバスの車窓からも、建物の劇的な変化をパリ中心地から数キロ離れただけで見る事ができるだろう。ここから先は「こういうところ」なのかもしれない、と。事実、パリ在住の同級生から「クリシーとかで携帯電話は絶対使いたくない。ひとたび使えば5−6人に囲まれて奪われてれてしまうから。」というコトバを頂けるぐらいだ。そう、パリには「階層」が目に見える形で存在する。

 階層が違うから関わりたくないのか、関わらないから階層間の断絶が深くなるのか。当時は階層差を所得差程度にしか見ていなかった私は、旧市街には金持ちが新市街や郊外には相対的に貧乏人が住むようになると思っていたのだけど、このところのニュースで暴動の背景を知るにつれすっかり暗澹とした気分にさせられてしまった。これは移民問題ではない。彼らは既に三世でフランス生まれフランス育ちでフランス国籍をもっているのだから。サルコジ内務大臣の煽り発言も、このタイミングで人の琴線に触れるような言い方でなぜできるのか、暴動鎮圧の責任者として理解に苦しむ。「人間くささ」が現れただけにしては浅すぎる。その上、この内務大臣かねてから移民政策に積極的だったみたいで。そこがまた判らないんだよな。